前回は学科の基本情報について(https://www.deviewstory.com/columns/72)書きました。今回は授業の様子について書いていきます。
前回からの用語説明:
きそう=機能創造理工学科
ぶっせい=物質生命理工学科
こっきょう=国際教養学部
2.授業の様子
授業:基本的に授業はきそうの教授が行います。が1年や2年の前期など、まだ学科専門の授業がそれほどない時期は、理工英語コースとして、ぶっせいの教授が教えたりします。要するに最初の方は、グリーンエンジニアリングとグリーンサイエンスが全く分かれておらず、お互い一緒に同じ授業を取ります。
これは英語コースだけの話ではなく、通常の日本語コースの方も同じで、きそうとぶっせいが1年の間はそれほど分かれておらず、科学全般に関しての授業を取る必要があります。これは僕にとって全く予想外で、高校まで生物を全く取らずに生きてきた僕が英語コースに入って突然分子生物学を取ることになり(必修)、しかもその単位は落としたら1年留年確定(その授業が年1回しかないので)するやつだったので、ぶっちゃけやばかったです。結局少人数クラス特有の教授との距離の近さを最大限生かし、必死に頼み込み追試してもらい、なんとか単位は取れました。ぶっちゃけ僕が日本語コースにいたら落ちていたと思います。
特徴:英語コースの授業は何より「超少人数」なので、それが特徴的です。例えば、学科専門の授業で、受講者数4人とかざらです。なので残念ながら出席をごまかすことはどう考えても不可能です。しかし教授とのやり取りが恐ろしくしやすいので、それを上手く使えればとても良い環境だと思います。個人的な相談などもしやすいと思います。
カリキュラム:もちろん英語コースの人たちは英語クラスのみ取っても卒業はできますが、実際に開講されている授業数を考えるとそれはあまり良い考えではありません。通常は、日本語クラスの授業も取ります(言語的な問題がなければですが)。特に学科専門の授業で、日本語ではやっているけど英語ではやっていない面白そうな授業などは取ることが多いです。それにそのほうが早く必要単位を履修していけます。しかし当然英語コースなので、全ての授業を日本語で取ることはできず(それならなぜ英語コースに入った?となりますね)、英語クラスの内必修なものはたくさんありますから、それらを取りつつです。
また僕が個人的に楽しいと思ったものは、他学部他学科の授業です。上智は総合大学なので、神学、法学、経済、心理、外国語、文学、国際教養等結構たくさんの学科があります。その中で、興味があるものを取ることもできます。例えば僕は、1年秋で論理学、社会学、春で財務諸表論、2年秋で証券投資論とかを取っていました。どれも面白かったですし、勉強になりました。一応これらは一般教養(通称ぱんきょう)の単位として取ってました。
しかし上記の授業はあくまでも全学部に開講されている授業(通称全学共通)だったので(たぶん)、もっとハイレベルな学科専門の授業とかになればその授業の担当教授に頼んで聴講させてもらうことになります。何も言わずに勝手に授業に潜り込んでると、見つかって不審に思われることがあるので注意が必要です。
あとちなみに上記の授業は全て日本語クラスでしたが、英語クラスのぱんきょうの授業もあります。それらはだいたい、こっきょうの授業です。どんな授業を取ったとかあんまり覚えてないのですが、確かContemporary Chinese SocietyとかCommunication Englishみたいなものを取った気がします。あと忘れてましたが、カトリックの大学らしくキリスト教関係の授業もありちなみにそれは必修でした。なんかStudy of Loveみたいなやつとあと一個取った気がしますが、一緒に授業に出てたこっきょうの人たちとお菓子食べて寝てた記憶しかないです。
結局どんな授業を取ってもいいと思いますが、ぶっちゃけ種類が豊富なのはどの学科でも日本語クラスです。でもぶっちゃけこっきょうの授業を取れば、大学内でもちょっと独特な雰囲気の、なんか日本の大学とは思えない色々なタイプの綺麗な人が見れたりするので、そこは考えとくといいかもしれません(個人の見解です)。
教授の英語:授業を行う教授は日本人の方もいますし、そうでない方もいます。しかし学科専門の授業は当たり前ですが学科の教授が行い、きそうにはほとんど外国人の教授はいないので、結果日本人の教授がほとんどになります。逆に学科専門じゃない授業は色々な人が教えにくるので、僕の時は微積はフランス人、ラプラス変換はフィリピン人、科学英語はイギリス人、アメリカ人、飛行機の仕組みはポーランド人の方が教えてくれました。
ぶっちゃけ学科の教授たちの英語はそれほど上手じゃないかもしれません(僕が言える立場ではありませんが)。つまり良くも悪くも、日本人英語の方が多く、言い換えれば英語の使用に慣れていない、ということです。当たり前ですが、ネイティブ並みの発音ができるようになるには幼少期からの訓練が必要です。そしてある時期を過ぎれば、ほとんどの人は発音に関しての成長はそれほど望めなくなることを経験として実感してると思います。つまり発音に関して言えば、学科の日本人教授の方たちはそれほどネイティブに近いわけではありません。がそれは聞く側がその日本人英語の発音に慣れていないだけと考えることもできます。事実、上記の微積を教えてくれたフランス人の方の英語も相当聞きにくかったです。結局そういうことです。
あとちなみに、日本人教授の方たちは恐らく英語で教えるということを少し高めのハードルとして考えていることが多い気がします。このポイントの生徒にとっての利点は、「教授が説明をより丁寧に行ってくれる傾向がある」ことにあります。どういうことかというと、教授たちは日本語で教えていると、授業において言語的な問題で生徒に要点が伝わっていない、とは考えません。当たり前ですが説明する側(教授)と聞く側(生徒)双方日本語のネイティブなので、もし要点が上手く伝わっていないとすれば、それは聞く側の内容の意味理解に問題があると考えるのが自然です。しかし英語で教えていると、「もしかしたら自分の英語が原因で要点が伝わっていないのかもしれない」と考えます。つまりたとえ理解の問題の原因が本当は生徒側にあったとしても、教授たちは色々な工夫をして何とか英語で伝えようとしてくれます。よって、日本語クラスなら「そんなことも知らないんだったらこの授業出るなよ」となるところが、英語クラスなら「この概念の基礎にはこういった背景があるんだよ」「少しでもわからないところがあったら何でも質問してね」となります(多少誇張があるかもしれません)。
これはとてつもないメリットで、もし生徒が僕のように日本語と英語がとりあえず両方わかる人であれば、それは最大になります。なぜなら、もし日本語が全く分からなければ(ぶっちゃけ半数くらいの生徒はそうです)、教授の英語での説明に納得できなければそこで諦めるか又は自分でネットや文献で調べるしか手はありません。しかし日本語英語両方がわかれば、教授の英語での説明がよく分からなくても、授業が終わった後に日本語での説明をお願いできます。そして教授にとってもその方が、言語的な意味での負担は少なく、しかし英語での説明の為によりシンプルに理解できるようなプロセスを考えてきているので、日本語での説明であっても、通常の日本語での説明よりよりシンプルで明確な説明をしてくれます。
あと、教授たちも自分の話したことがちゃんと理解されているかどうか確認したいみたいので、英語での説明がちゃんと伝わっているという確信が日本語でも持つことができると、とても嬉しそうです。
今回はここまでとします。次回はもう少し細かい授業内容や、研究室などについて書く予定です。
また上述の情報は、引用された学科情報等を除くと全て僕個人の意見ですので、あくまでも参考程度にお使いください。
作者:兼子仁志
編集部