以下は僕の個人的な解釈ですので、著者が意図しない理解が含まれているかもしれません。なので正確に理解したい人は原著(フロー体験喜びの現象学)を読んでください。
フロー体験(Flow Experience)とはミハイ・チクセントミハイが提唱する概念で、この概念に基づき彼は人間の幸福の追求の仕方を説明しています。
そもそもフロー体験とは「ある対象に極限まで集中し、忘我の状態で思考や動作が流れる(フロー)ように感じられる経験」のことを言います。
そしてミハイ・チクセントミハイは、その集中の対象が適切に考慮される限り、フロー体験を続け自己をより複雑化していくことが人間にとっての幸福だと言っています。というか定義しています。
この中の気になる注釈「その集中の対象が適切に考慮される限り」の意味は、例えば第二次大戦中欧州で何十万というユダヤ人をガス室に送り込んだドイツ軍士官アドルフ・アイヒマンは、彼の徹底的に効率化された作業中フロー体験をしていたと考えられ、またそこに倫理的な葛藤が生じることはなく、むしろそのような葛藤は彼のフロー体験の為には邪魔なものだったと思われます。
この例からわかる通り、フロー体験は他の全ての事柄と同じように、それ自体で「良い」「悪い」という類のものではありません。フロー体験は人間の心理的エネルギー(何かに注意を払う際などに必要なエネルギー)に依存していますが、それが結末としてどのような結果をもたらすかは結局人間が利用している他の自然エネルギーと同様、それらを使う側に依存しています。
例えば原子力エネルギーは発電機として使えば多数の人間の生活を支えることができますが、爆弾として使えば全てを一瞬で破壊することもできます。
次にちょっとよくわからない「自己を複雑化していくこと」の意味は、上の図によって説明できます。
人はまず自分のレベルに合った目標に向けて行動する時、フロー体験をします(A1)。しかし徐々に自分のレベル(技術)が上がってくると今までの目標ではつまらなくなります(A2)。そこからフローに戻るためには、自分のレベルを下げる(練習を一時的にやめる)(A1へ戻る)か目標を上げる(A4へ向かう)、という選択肢があります。
次に人は、何等かの理由で自分のレベルの低さを思い知る(目標が上がる)と不安を感じます(A3)。そこからフローに戻るためには、目標を下げる(自分より優れた相手の存在を忘れる)(A1へ戻る)か自分のレベル(技術)を上げる(A4へ向かう)、という選択肢があります。
そしてこのプロセスが繰り返されると、同じフロー領域内にいても、より異なったフローを体験することができます(A1とA4)。この場合であれば、A4の状態のほうがA1の状態より、より複雑な自己を構成している、つまり成長している、と言える訳です。そしてそれこそが、「自己の複雑化」です。
僕としては「複雑」という日本語が持つ、ごちゃごちゃとしていてまとまりがないというイメージを避けるため、「高度に統制された複雑」、または単に「洗練」と言ってもいいと思っています。
まとめるとチクセントミハイは、対象は何であれ(もちろんアイヒマンの例のように、他者にとって有害だと思われるものは注意深く考慮する必要がありますが)、人にとって、より高次のフロー体験をし、自己を複雑化していくことが、幸福だと言っているのです。
この考えが面白いのは、人類共通の普遍的な問いである「幸福とは何か?」に明確に答えているところから理論が出発しているからだと思います。
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作者:兼子仁志
編集部