人間のやる仕事は、どんな仕事でも天から降ってくるのでなく、誰かから受け継がねばならないものです。もし、仮に、交通路を見つけるために、みんなが世界中を歩き回り、あらゆる岬や島を調べなければならないとしたら、一人ひとりの寿命が何十倍にのびても足りないでしょう。
また、民族や部族によって複雑に違っている言葉も、文法によって整理すると、翻訳することができます。知識の量は、ますます増え、新しい発見が次々と重ねられていきました。それで、人間は、先輩たちが調べてくれたことを、国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保険体育、技術・家庭、外国語などの教科にまとめて教え、集団活動の知恵を自治活動・学級活動などで学ぶ”学校”をつくりだしたのです。
つまり、学校での学習内容そのものが、人類の知恵の総まとめになっているのです。
はじめは貴族や支配者しか学校で学べませんでしたが、社会が進歩するにつれて、次第に多くの親が自分の子を学校に行かせるようになりました。
「学校での学習内容そのものが、人類の知恵の総まとめになっている」言いましたが、それは社会にでてそのまますぐに通ずるわけではなく、実社会にでてから実際の労働の中で教わるものの方が多いはずです。けれども新聞を読んだり、社会の仕事などで外国の地名がでてきても、地図の見方を学んでいなければ、それがどこにあるか見当もつかないでしょう。
製図の記号や、図形の性質を学んでいなければ、建築物や機械の図面を見ても、それがどんなものかさっぱりわかりません。
そういう、社会にでてからは教わることのできにくい基礎的なものを学習することが学校の主なねらいです。
ですから、学校にも、人間の成長に応じて、国民としての基礎知識や機能を教わるための小・中学校・社会人としての一般教養や専門的な知識・機能の基礎を教わるための高等学校、高度な学問・技術を学ぶ大学や、職業教育専門の学校などができました。
人間はおたがいに教えあい、学び合い、それぞれの世代が、人類共同の倉に新しい富を加えていってこそ進歩発展していけるのです。そのための学校が大切なのです。
ー 三木雄一著より ー
作者:李恵玉
デビューストーリー編集部