「人生は思い通りにいかないと思って、人は毎日を過ごしている。ということは人生思い通りにいっているじゃない。」という、とぼけた話を聞いたことがあります。これを子育てに当てはめるとこうなるのですかね。「子は思い通りに育たない、誰もがそう思って日々、子育てをしている。ということは、思い通りに育っているじゃない。」
世の中には星の数ほど児童書・子育ての本が出ています。読めば、なるほどなあと思うのでしょう。ところがどっこい、仕事から帰って家のドアを開け、リビングに行き舞うs。そこにはポテドチップ片手にソファーに寝っ転がって、大口あけてケタケタ笑いながら宿題もせずにお笑いば組を見る、愛しい我が子の姿が。この瞬間、お母さんの頭の中から、世にあるすべての「ハウツー子育て本」の存在は吹っ飛びます。
ところで、拙いこの文を書いている私にも子供が二人います。間もなく28歳になる定職につかない長男と、あっさり体育教師の夢を捨てて一般企業に勤めた26歳の次男です。子育てを振り返ると、99%母親任せでした。勉強しなさいと人様のお子さんいは口を酸っぱくして言いましたが、自分の子には一度も言ったことはありません。ですから父親のいうことを忠実に守り、実によく遊んでいました。人様に迷惑をかけないことが第一、健康であることが第二、友達をたくさん作ることが第三、勉強についての優先順位はかなり後でした。こんな調子の父親でしたから、子育てと言えることは何もしていません。謙遜ではありません。現在飼っている、拾ってきた猫の世話の方がはるかに献身的にやっています。思い出しました。一つだけ毎回やっていたことがありました。
担任の先生が書いてくださった通知表の所見欄にある「保護者からのコメント」を書くことでした。「同じ先生なんだから書き慣れてるでしょ。」というわけのわからない理由で書かされていました。両親がお世話にを焼きすぎて大失敗したのが長男の高校進学でした。最初の子はとかく手をかけすぎると言いますが、親が子の高校がいいと結果的に勧め過ぎてしましました。その結果子供自身に選択させるという当たり前のことをさせなかったがために、入学して数ヶ月で高い入学金を出した私立高校を辞めてしまいました。その後、1年遅れて公立高校に入ることとなりました。「親は、選択肢という線路は敷いてあげても、それから先は子供に決めさせないとダメですよ」と、いつも学校の第三者面談では人様に偉大そうに言っていたのに、自分の子供のこととなると全く見えていなかった様です。つい、口を出し、手を出してしまいたくなるのですが、親はじっと黙って見ている時間が大事だなと痛感しました。小さい子の子育てと一緒です。子供は思い通りに育ちません。隣の芝生は青く見えます。(よそ様の子は素晴らしく見えます)
しかし、よそ様の親御さんもみな「何で」「どうして」という歯痒い思いをしながら日々子育てをしているのだと思います。兄弟姉妹、みな一人一人、能力も個性も違います。お兄ちゃんが器用でも、弟が不器用でもなんてどこにでもある話です。不器用でもいいのです。不器用な子ほど、時間がかかりますから努力する力がついてきます。他の子と同じことができることが当たり前で、できないのはダメな子ではありません。学校は寸分違わぬ商品を大量生産する工場ではありません。その子の”個”に目を向けて成長させていくことが大事かなと思います。
ところで、親も教師も、その子の良い部分はその子自身も知っていると思い、取り立てて誉めないことが多いのではないでしょうか。そして、もっとよくしようと、できない部分だけにスポットを当てて、「何でこんなことができないんだ!」「お前ならもっとできる!」と言っていないでしょうか?しかし、もしその子が自分の良い点に気づいていなければ、自分は何も取り柄のないダメな人間だと思うでしょう。どんどん自身をなくしてうつむく子供達の姿が目に浮かんできます。ちょっとしたことでも誉めてあげられる大人が周りにいることで随分違うかなと思います。
保護者の方から、「小学校の時に比べて子供の悩みが増えてきています。悩む姿もよく目にします。大丈夫なのでしょうか」という話を聞きました。友人関係から勉強のことまで小学校も大変ですが、それ以上に中学校になると誰しも多くの悩みを抱え込みます。悩むことが、悩みが増えることが当たり前なのです。それを一つ一つ自分の力で解決していくことで大人への階段をのぼっていくのだと思います。周りの大人があたふたせず、悩んでいる時間をあたえること、母が父が教師が、ちょっと待ってあげることがとっても大事なことと思います。大人が出ればすぐに解決するかもしれません。しかし、自分で解決の糸口を見つけるようにしてあげないと、それは正しい解決とは言えません。正しい成長を望むならば、子供に悩む時間をあたえることが必要なのだと思います。授業の中でも大切なことの一つに、子供たちに投げかけた後、”いかに待てるか”ということがあります。いい授業をする先生は、この「待つ」ということが巧みにできる授業を展開します。なかなか簡単なことではありません。
学問に王道なしと言いますが、”子育てにも王道なし”なのだと思います。子供は思い通りに育たないものと、少しハードルを下げて、見つめてあげることだけは忘れずにみんなで子供達の個を大切に育てられればなと思います。お母さん一人が悩む”孤育て”ではなく、みんなで”個育て”ができればなと思います。
作者:チャレンジャー
ある中学校の先生